footballhack: つなぎ論1 パスとはコミュニケーションである

2010年8月24日

つなぎ論1 パスとはコミュニケーションである

今回はパスについて考えます。

パスは2人の間でボールの受け渡しをする行為です。ボールを蹴る人とボールを受ける人がいます。

ことばで書くとそれ以上でもそれ以下でもないんですが、ピッチ上で行われるパス交換はもっと多元的な現象です。

たとえばこんなシーンを想像します。出し手AはDFに寄せられて余裕がないのでとにかくボールをトーキックでつっついて受け手Bのほうに転がした。受け手Bはボールが弱いのでボールに寄ってから逆サイドに向けて大きく展開した。

たぶん出し手Aはこう思いながらパスを出したと思います。「俺はこれで目一杯だからB頼む」。そして受け手Bはこう答えたでしょう「よくがんばったAよ。これで相手の裏をつけるぞ」

こういう思いの交換がパスごとにあるのではないでしょうか?パスとはコミュニケーションであるというとはそういうことです。

ある統計では、プライベートで仲がいいグループとそうではないグループでは、仲がいいグループの方が試合中により多くのパス交換を行ったことがわかっています。

つまり、パスコースが2つあって一方は仲のいい選手で、もう一方はそうでない選手ならば、仲のいい選手を選択するということです。

ポゼッションサッカーでは常にボールを失うリスクにさらされています。のっぴきならない状況のときに信頼の置ける仲間が近くにいれば、迷わずボールを渡せます。同じ状況で、よく知らない選手がいたら、迷わずにパスができるでしょうか?自分でボールを保持したほうがまだましだと考えるかもしれません。

顔を見てパスを出すというのはこういうことです。特定の選手にボールが集まるのは、その選手が信頼され、彼ならなんとかしてくれるかもしれないという味方の思惑が働いているからです。

ここでまた、ある状況を想像します。自分がボールを持って敵陣ペナルティーエリアに迫っています。3対3で自分は真ん中にいて、右にはシュートテクニックに優れた味方FW、左には足の速い味方ウィングがいます。ここで左右のどちらにパスを出すべきかというと、答えは右です。

より得点の機会が多い選択肢を選ぶには、ポジショニングやタイミングだけではなく、味方の顔を見ることも必要です。

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2 件のコメント:

  1. 入曽の左サイドバッカー木曜日, 9月 02, 2010

    諸田先生の言葉を改めて思い出しました。

    サッカー選手も人間ってことだよね。人間関係、信頼関係が生まれてからのプレーの方がやってても楽しいし、やっぱりいいプレーも出やすい。
    こっちでもたまに個人サルとか行くけど、ボールは蹴れても気持ちのいい「プレイ」は出来ない。仲間と蹴ってる楽しさは人間関係あってこそだと思う。
    逆に言えば、知らない人でもパスを繋ぐことでコミュニケーション取れるのがサッカーの面白いとこかも。


    日常で作る信頼関係とサッカーで作る信頼関係。
    両者があいまったときに初めて素晴らしいパス交換が出来るのかも知れないね。

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  2. 本当にそのとおりで、信頼関係の築かれた人とのパス交換は、何にも代えがたい快感に近いものを感じる。

    入曽の左サイドバッカーさんにはもっと先生の言葉を思い出して欲しいっす。僕も忘れてることいっぱいあるから。

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