footballhack: サッカー上達の3つのコツ

2013年4月2日

サッカー上達の3つのコツ

サッカーの上達法 001

サッカー上達法は主に3つあります。
  • 指導者から教わる
  • 他人から盗む
  • 自分で考える
それぞれの方法のメリットとデメリットを考えてみましょう。


  指導者から教わる

教わることは上達の方法の中で最も即効性の高い手段です。

ただし、ここで注意しなければならないのは、「正しい指導を受ける」という点です。大きく言うとまず発達年代によって獲得すべきスキルが異なります。低年齢ではヘディングを繰り返すような練習は避けたいですし、スペースの概念はサッカー理解力が高まる14歳以降で取り組むのが望ましいでしょう。

次にチームコンセプトに注意します。目指すべきサッカースタイルの中から個人が習得すべきスキルや動きが定まってきます。チームの方向性はチーム事情によって異なりますし、監督の思想に強く影響されます。ここではどれが正しいかということを言及することはできません。例として、中学生年代なら横への展開と数人でのコンビネーションを攻撃の柱とするのが良いでしょう。つなぎのセオリーやワンツー、ドリブルの指導が勧められます。一つのコンセプトに基づき数年間の指導を受けると、選手としてぐんと成長します。信ずるものの存在が向上を手助けするのです。

もうひとつに、オーバーコーチングの議論が挙がると思います。個人的にはオーバーコーチングはよしと考えています。オーバーコーチングが問題になるのは、その指導が間違った分析に基づいている場合です。特に顕著なのは、中年、壮年の指導者によるプレーへの介入です。彼らは自分らが現役の頃の経験に基づいて指導をしています。それは20年以上も昔のことです。当然、現代サッカーは常に進歩し、有効なスキルや戦術は洗練されてきています。古い時代に正しかったことも、現代では間違っている、そういうことはよくよくあることです。

間違った指導が蔓延すると、チームコンセプトも間違った方向に進んでしまいます。また、間違った動作を習得することは、自然な正しい動作を習得する妨げとなります。下にも書きますが、本来選手は自分の感覚を信じて上達を図らなければなりません。実践の中で研磨する技は、体の自然な使い方を促し、より無駄のない動きや戦術眼の発達に寄与します。僕も今思い返すと、小学生頃に自分で自然にやっていたことを大人に矯正されたことで、発達が阻害された経験があります。今となってはどうしようもないので、みなさんに僕の経験を活かしてもらいましょう。

そうならないためにはどうするか。2つの点に注意しましょう。現代サッカーを客観的に分析すること。もうひとつは自然な動きを追求すること。自然にプレーすることを助長し、その中で細かい体の使い方だとか局面を打開するための知恵を伝授することは、もっともっと積極的に行われなければならないと感じます。つまり正しい分析に基づいたオーバーコーチングが必要なのです!あと、協会主導の指導指針に惑わされないことも大事です笑。

まとめると、教わることはダイレクトに個人の思考体系を変えるという点で、最も影響力があり即効性が高い上達の手段です。よく人の話を聞き、広く読むことを心がけましょう。



  他人から盗む(真似をする)

ここで言う他人とは味方、相手チームの選手、先輩、コーチ、テレビで見るプロ選手を指します。とりわけ、味方から盗むことがとても大事です。

チーム内には選手の実力の序列があります。だいたい選手は感覚としてもっているものですし、指導者の態度や声のかけ方から敏感に感じ取って、心のなかで序列を固めてしまいます。

もしあなたが、チーム内で序列が真ん中より下の場合、つまりはあなたより上手い選手がたくさんいる場合は上達する絶好の機会です。なぜなら盗むべきポイントがたくさんあり、それを日常的に頻繁に見られるからです。

見て学ぶというのは指導することや自分で考えることに比べて、格段にコストのかからない上達法です。コストとは指導する手間暇、時間、失敗経験等のことです。ですから、一人がある技を習得すると他のチームメイトに加速度的に波及することがあります。これをそのまんま"技の波及効果”と呼んでいます。

また、あなたがチーム内序列でトップに君臨していたとしても、盗むべき技はいくらかあります。対象の序列が下でもタイプが違う選手には注目すべきなのです。例えば身体的特徴が違ったり、ポジションが違ったり、性格が違ったりして、あなたより下手だと思っている選手でもあなたにできないプレーをしていることがよくあります。そういうときは素直に教えを請うのが一番いいです。「そのプレーいつもやっているけど、どうやってやっているの。」聞かれた本人もあなたに声をかけられて褒められているようで嬉しくなります。きっと嬉々として教えてくれるでしょう。また、技をシェアすることでチーム全体の強化も期待出来ます。

盗むべきポイントを発見する目が大事です。つまりは分析力と観察力。多くの場合、味方の持っている技を見逃しているのです!普段近くにいる人が上手いプレーをしているのに、それに気づかず3年間を過ごしてしまうということはよくあります。僕も今思い返すと、「あのとき技を盗んでおけばよかった」と思い当たることが10個ぐらいあります。不思議なプレー、独特な身のこなしに注目すべきです。そしてその人の必勝パターンを見出すのです。それこそが盗むべき技です。

盗むという方法は、時間的、金銭的、手間暇的コストが掛からないことが一番のメリットです。無料でしかも教わったり教えたりする手間暇をかけずに、選手が勝手に成長できる方法なのです。難点は選手の分析力と観察力にすべてかかってくるということです。技の存在に気づけなければ技を身につける機会を一生逃してしまいます。

一般にサッカーセンスとはこの分析力や観察力の高さのことをいいます。センスがある選手は技をたくさん盗んでどんどん上達していきます。一方いつまでたっても上達しない選手は、残念ながら外部から刺激を与えない限り上達することはありません。



  自分で考える


サッカーにかぎらず、人間が成長するには自分自身で考える力が必要になります。自分で考える力の大切さはサカイクやサッカークリニックなどで頻繁に論じられているので、ここでは少し具体的に書くことを心がけたいと思います。

サッカー的に正しい思考法をもつことは、サッカーセンスを持ち合わせていることと同義です。サッカーのあらゆる局面に自分で考える力が必要になることを説明してみましょう。

例えば、指導を受けるとき。10教わり8得ることが出来る選手と、10教わり1しか理解できない選手がいます。この差が考える力の差です。これは単純に経験の差とも言えますが、自分の経験をどのように記憶しているかがさらに重要なのです。体験は主観的なものです。記憶は感情や関係性に影響されて変化して記録されます。体験をする瞬間にどれだけ深く考えていられるか、あるいはいろんな状況を結びつけて記憶できるかが大事です。よく記憶されていれば、似たような状況に2度めに遭遇した時に、過去の体験が有用な情報として引き出されます。

また、新しい動作の習得するときにも考える力が求められます。新しい動作は言語や映像として選手にインプットされます。選手は動作を理解してそれを自分の体で表現するという過程を踏まなければなりません。この過程に考える力が必要になるのです。他人の体と自分の体は違うという当たり前の事実を理解し、動作の一つ一つを自分の体の感覚に落としこんでいくことに、高いサッカーセンスが求められるのです。ここでよく勘違いされてしまうのは、この過程をすべて意識上で表現できなければいけないと思うことです。センスの良い選手は無意識下で情報を処理できるのだと思います。無意識でも意識上でも情報を処理する能力、これが考える力です。これらの例は、サッカーを教わる時にいかに自分で考える力が大事かよく示しています。

元日本代表監督の岡田武史氏の言葉には賛同します。「指導者を越えていくには自身で考えること、それだけが指導者の想像を越えていく方法だ」というものです。厳密には小異ありますが大意はそんなところだったと思います。

また、前述のとおり、技を盗むにしても何に着眼するかはセンスにかかってきます。自分の話で恐縮ですがひとつのエピソードを伝えたいと思います。僕の高校時代ひとつ上の先輩にテクニックは全然無いけど足がとても速く、よく相手DFからボールを奪うFWがいました。僕は常々猪突猛進な彼がなぜいつも先発なのか不思議に思っていました。それでもう一人同年代で技術と判断力に優れた圧倒的エースがいました。そのエースが先輩の事を見て、「あの人の技を明日から真似しよう」と言い出しました。その技とは紛れもなく”頭から潜るフィジカルコンタクト”だったわけです。僕はそれを初めて見た時、とても危険な行為だと思ったので「それはサッカー的に見て技術とは言わないから真似しないほうがいい」と言ったことをよく覚えています。今思い返すと完全にそのエースが正しくて僕が間違っていたわけですが、これに気づかなければ一生下手のまんまだったかと思うとぞっとします。うまい選手には上手いといわれるだけの必然的な理由があり、それはいわゆるサッカーセンスというものである場合が多いのです。JFAやトレセンで教わることだけしかできない選手には思いつかないような斬新で有用なアイディアを、センスのある選手は持ち合わせているのです。

また、"すねコントロール 〜略してスネコン〜”で少し触れたとおり、偶然を習慣にすることも大事です。プレーがたまたまうまくいくことは誰しも経験することです。この経験を反芻し、再現性を高めるように努力することで、偶発的な成功を習慣的な技術にすることができます。どんなに悪いプレーでも、失敗だったと自分で思い込んでいるプレーでも、よく思い出すことで何かしら教訓を得られるかもしれません。これも自分で考える力のひとつです。このように自分の体験からセオリーを抽出して課題を克服できるようになるのが、サッカーの上達の理想的な形です。

問題解決能力だとか考える力というものは忍耐力を必要とします。失敗体験を重ねないと成功をつかめないからです。ですから上達のスピードはとてもゆっくりになります。短期的に見れば”自分で考える力”はそれほど選手に影響を与えませんが、しかし長期的に見たら成長のためのもっとも大きい栄養となります。指導者の手を離れて成長を続けるには自分で答えを見つけ出していくしかないからです。




  まとめ


ここで一度3つの方法の利点難点をまとめてみますと以下のようになると思います。

利点難点
教わる即効性が高い自力で考えなくなる
盗むノーコスト気づきに依存する
考える長期的に見てリターンが最大忍耐が必要


問題解決能力は年令を重ねるごとに重要性をましていき、最後には(大人になったら)必ず誰にでも必要になることです。ただし、選手に考えさせるのが大事だとして、まったく指導をしないのは指導者の怠慢です。教えることと考えさせることはバランスよく行わないといけないと思います。

例えば、三年サイクルで指導するのであれば一二年次は徹底的に詰め込み教育を行い、三年次は問題解決力を伸ばすようにすると良いと思います。自分で考える力は別の思考体系に移った時に重要になります。適応性と関連があるのです。次のカテゴリーに進み、新たな指導者から新たな思考体系のサッカーを学ぶ際には、今までの考え方を捨てて0からスタートしなければなりません。教わることしかなかった選手は新しい環境に適応するのに時間がかかってしまいます。また、今まで教わったことと新たに教わることに関連性を見いだせずに混乱してしまいます。問題解決能力のある選手は様々なサッカー理論を取り込んで、上手くミックスさせ、自分の中にひとつのサッカー哲学の柱を立てることができます。もっとも効率を重視するならばという条件付きで、僕はこのように思います。

いずれにせよ選手視点で考えるなら、この3つの方法、"教わる”、"盗む”、"考える”を相互にリンクさせながらバランスよく用いて行くと、持続的で安定した上達につながると思います。

これをやれば上手くなるっていうトレーニングの指定を期待した人は残念でした。サッカーはそこまで浅くありません笑。

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